Some more days after the day

美味しいもの食べると元気になるなぁ。良いことだ。(05月01日)

 

冬のお布団を干す。ふかふかでさらさらで、あの子がいたら真っ先に飛び込んで自分のものだって顔をして潜り込んでずっと寝てる。全部キミにあげるよ。昔も今も。(05月05日)

 

正直、猫を飼いたいかと聞かれると、我が家の安定のためには必要なんだけど彼以上の子なんて存在しないのでわざわざ探すかと言われると違って。ご縁とか定めとかの何かでまた誰かと逢えることがあるなら幸せだけど。(05月05日)

 

わざわざ私の部屋からベランダに出て猫草食べたり、クローゼット開けるとどこからともなく現れて探検してまわったり、いないと思ったら私の部屋の押入れの奥で丸くなってたり、寝てたら耳元が足の重みでベッドが若干下がったり。何気ない日常思い出して泣けるのはそれだけたくさんの幸せな時間をキミと過ごしてきたから。(05月07日)

 

窓際に置かれたタンスの上からお外に向かって「かかかかかっ」って鳴いてる。鳥さんとお友達になりたかったんだよね。お空にいるならお友達になれたかしら?(05月07日)

 

こんな天気のいい日はベランダに出てのんびり猫草食べてた。鼻キスしてご挨拶した後必ずお口モニョモニョするのはご満足の意味だったのかなぁ。そしてそのあとたまに鼻カプってされた。痛い。(05月08日)

 

先々週はここ最近の様子が思い出されていたけれども、先週からは元気に走り回ってた頃のことが思い出される。少しずつ変わっていくけど、思い出せることが幸せだ。(05月08日)

 

母親と話したけど、2人とも「やれることは全部やった」と胸を張って言えるから後悔はない(父親はグダグダ言ってるらしい)。それだけの時間をくれたことに本当に感謝。(05月08日)

 

私が好きな人間のタイプはかしこくて、まっすぐで、優しくて、強い人。あの子はそのまんまだったなぁ。(05月08日)

Days after the day

消えてしまう前に残しておく。

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今までネコさまのトイレのためのために開けっ放しになっていた部屋のドアがしっかり閉まってるのを見て、もうその必要がないんだなとわかってしまうのもつらい(04月24日)

 

ネコさまがなくなってるの悲しんでる横で飛んでる虫は潰すのシュールだよね(04月24日)

 

今のお家は2人で暮らすにはちょっとだけ広いなぁ(04月24日)

 

天国に行けますように、とか言ってもらえるのお心遣いはありがたいのだけど、どこにも行ってほしくないし、そもそもかみさまなんだから天国に行くもなにもないよねというお気持ちはさすがに言えない(04月24日)

 

火葬は明日。このふわふわに触れるのももうすぐなくなる。毎朝おはよう、と言いに行くことも、毎晩おやすみ、となでなですることもなくなる。そういえば最近は夜中に起こされることもなかったんだったっけか(04月24日)

 

あの子がいないと必要のないものがいろいろあって、存在の大きさみたいなものが迫る。キッチンペーパーも、そう。(04月25日)

 

ガスコンロのレバーが一つポッキリ。壊れかけで危なかったから一緒に持っていってくれたかな(04月25日)

 

今日はなんとなくお空でキラキラして走ってる子のイメージが湧くから大丈夫かな。地上にいるとき本当に綺麗だと思ってたけど、お空だともっと綺麗なんだね(04月25日)

 

綺麗なお姉さんが焼きに来てくれた。一人で大型バン運転して焼いて合間に記念品キーホルダーも作るとかすごいな。綺麗なお姉さんに「可愛い」って言ってもらうのが大好きだったからええやな。(04月25日)

 

3キロ以内か以上かでお焼きのお値段が変わるらしい。7キロあった子が2キロ未満まで小さくなってお気遣いすごい(04月25日)

 

もう一人の子を撫でながら、仕草やリアクションが全然違うので、あの子はいないんだなぁなどと思ってしまう。申し訳ないが一緒にいる時間も何もかも違うので溺愛度がまったく違ってしまってのう。。。(04月26日)

 

大丈夫、と思いつつ張り詰めてる自覚はあるので、ふいうちでグッとくる。慣れる必要もないのだが、つらみには弱い。(04月26日)

 

初七日。夜にお布団でゴロゴロしてたら、隣の部屋で押入れからドン、と降りるような音。元気だった頃は押入れで寝て、お腹が空いたら降りてきてたね。隣の黒猫くんが珍しく廊下で上を見上げて大きな声で鳴いていたし、キミはそこにいるんだねぇ。(04月30日)

 

大好きだよ、っていつも話しかけてた。なくなる数日前におんなじように話しかけたら、キミから大きな涙がポロっとこぼれた。たまたまかもしれないけど、ちゃんとわかってるんだって思えたから、後悔みたいなものはあまりないんだ。今でもずっと、ただ愛しいだけ。(04月30日)

 

四十九日は旅行でいないかと思いきや月曜で振休とった日だ。神かよ(神です)。(04月30日)

He has just passed away

どこに書こうかと思ったのだけれど、
できるだけ消えないようなところに残しておきたくて、
思い出したのがここだった。

 

今日(2019/04/23)の21時07分、最愛の猫が亡くなった。

自分のプロフィールでアイコンにしている子だ。

最後はみとれなくて、仕事終わってどうしても呑みに行きたくて同僚と出かけた先で
親からの一報を受け取った。

 

彼は20年前、突然我が家に来た。

友人が「親が猫拾ってきたんだけど見に来る?」と言われて家に見に行くはずが、
待ち合わせした駅には籠に入れられた猫と友だちとその親が現れ、
「トラ猫なので」と言われて虎屋の紙袋に入れられてそっと渡された。

 

何も用意などされていない我が家。
「とりあえずトイレは洗面器に新聞紙をちぎって入れておけばいいから」と言われ、
途方に暮れながら新聞紙をちぎっていたら、
「なにそれあたらしいあそび?」とでも言いたげに、
一緒に新聞紙をバリバリしてくれた。

 

愛らしい青い瞳は、それまでペットを飼うことに反対していた父親を瞬殺した。
あんなにとろけそうになった人間の顔を、私はいままで見たことがない。

 

もらってきたミルクの粉の缶には、
「猫は1年で20倍に大きくなります」と書かれていた。
はたして手のひらに載るサイズだった小さな小さな子猫は、
1年後には見る影もないたくましい骨太どっぷり男子に成長した。

 

それまで猫を飼ったことがないネコ好きの私は、
猫はみんな可愛いものだと思っていた。
まして自分の家の猫なら、可愛くて当たり前だ。

そうではなくて、この子は本当に美形なのだと、はっきりと理解するまでには
10年以上の月日が必要だった。

 

顔の半分以上はあるかのような大きな瞳。

瞳と同じくらい印象的な大きな耳。

横からでもくっきりとわかるツンとした鼻筋。

身体が大きい分だけどこまでも横に伸びる立派なヒゲ。

ベンガル系のがっしりとした長い手足に、キジトラ柄のつやつやな毛。

完璧すぎる物は天に召されてしまうから、地上に居るために与えられたとしか思えないねじ曲がった短い尻尾。

 

どれもこれも、美しいとしかいいようがない生き物。

 

鼻筋と同じくらい、凛としたプライド。

嫌なことは嫌と言い、けれど美味しい物をねだるときだけは全力で上目遣いをする。

そして手に入れた瞬間に、それまでのことなどなかったことになる。

なでて、なんて決して言わないけれど、なでている間はまんざらでもない顔をする。

そしてなでるのをやめると文句を言う。

普段は人間がすり寄ってくると嫌がるくせに、こっちが弱っているときだけはそっとそのまま逃げずにそばにいてくれる。

人間の布団が好きで、でも一緒に布団の中で寝るのは絶対に嫌で、

でもご飯が食べられなくなってきてから、素直に布団の中に入るようになった。

人間の腕にそっと顎を乗せて、軽い身体をあずけて眠るようになった。

 

かっこいいね、とか、かわいいね、という声にはまんざらでもない顔をして、

大好きだよ、という声には少し照れたように目をそばめたりした。

年を取るごとに少しずつ素直になって、

I love you と言ったら、そっとキスをしてくれたこともあった。

なんという破壊力…!

 

ご機嫌なときには鳴らす喉が、

少しずつ弱って鳴らなくなって、

それでも「大好きだよ」といえば、

鼻をすするような「ずずっ」っとした息をする音がして、

ちゃんとわかってるんだ、つたわってるんだって、うれしくさせてくれた。

 

最初にご飯が食べられなくなってから1年半、

ちゃんとずっと愛する時間を、

大切にさせてくれる時間を、

お別れをいう時間を、

きみはぼくにくれました。

 

お別れのときは、自分は置いて行かれてしまうんだと、ずっと思っていたけど、

実際は風船がしぼむように、そっと、そうっと、

少しずつ消えていくのだと、

教えてくれました。

 

息を引き取った後も、

綺麗な瞳は大きいままで、

何も変わってなどいないかのようで、

私の大好きな姿のまま、きみはいてくれました。

 

ぜんぶぜんぶ、ちゃんとわかっていて、

かしこくて、やさしくて、きみはやっぱりかみさまでした。

 

これは私ときみだけの秘密。

ずっとずっと子どもの頃、私が生きているのがつらいときに、

かみさまは私の夢の中で、そっと力を貸してくれることがありました。

あるときかみさまは私に、二人の王子様のどちらがよいか、と尋ねました。

一人は金髪で、一人は黒髪でした。

黒髪短髪がストライクな私はなぜか、

そのとき金髪の王子様を選びました。

王子様は「選んでくれてありがとう」と、そっと私の鼻にキスをくれました。

あのときの王子様は、きっときみで、

そのとき以来ずっと、きみは私の王子様で、

弟で、息子で、恋人で、旦那で、先生で、主人で、救世主で、世界のすべて。

(ちなみに黒髪の王子猫が我が家に来るのは、それからもっとずっと後のお話)

 

明日からきみのいない朝がくるなんて、とても想像できなくて、

毎朝カーテンをあけるたびに気にしていたきみの居場所にきみがいないとか、

家に帰って寝顔を見に行くこともできないとか、

色のない世界が自分に訪れることなんてまるで実感がないのだけれど。

 

たぶん、怖がりな私が怖くないように、

先に天国に行ってくれていて、

いつかその日が来たら、待ってなんていなかったよ、って

いつもみたいな顔で

「やぁ」とだけ、言うんでしょ。

 

きみがお見本を見せてくれたように、

ぼくもいきてみるよ。

待ってなんてなくていいから、

会えたときにはそのまっすぐな大きな瞳でぼくをみて

「やぁ」って、言って。

 

「秀太くん、大好きだよ」って、私は変わらずに言い続けるから。

 

「かぐや姫の物語」感想

年が明ける前に、「かぐや姫の物語」2回目に見た感想を。
 
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1回目に見たときは完全にノックアウトされたこの映画。
2回目もやっぱり、見終わった後にずっとほわほわしてました。
 
平安時代の装束とか暮らし方とか本当にこうだったんだろうなぁと思うし、画面の隅々まで人物や動植物が生きていて、ちゃんとそこに意図をもって存在してる。
 
何より石作皇子の言葉が私にはストライクすぎた。
鳥たちが歌い、花が咲き乱れ、自然が自然のままで存在する「ここではないどこか」へ行きましょう、と、都会暮らしに疲れた姫に彼は言う。
 
「ここではないどこか」
ずっと、私が探してたもの。
大学時代はバックパック片手に世界を旅して、どこでも生きていけるという自信と引き換えに、「でも自分が責任を背負って生きていける場所はここしかない」と思って、日本で生きていくことを決めた。後悔も迷いも一度だってないけど、ガーナの山奥で自然と共に暮らした幸せな時間は、時々恋しくなる。
 
土に根をおろし、風とともに生きよう。
種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。
 
ゴンドアの谷の歌よ。
 
どんなに恐ろしい武器を持ってても、
土からはなれては、人は生きられないのよ。
 
天空の城ラピュタ」のシータの言葉がフラッシュバックする。
 
 
姫は言う。
「生きている実感さえあれば」、と。
 
生きている実感なんて、どれだけの人が感じられているんだろうか。
多分それは独りではダメで、誰かと話したり笑ったり交流したり。それが「人間らしさ」というものの本質の1つで、高畑さんがいまの世の中に訴えたいものなのかなぁと思った。
 
 
あと、最後の音楽が最高。
映画で見るのもいいけど、テレビから流れてくるとすごくドキドキする。いまの時代にちゃんと合ってて、みんなが求めてるのはこれなんじゃないかと思った。
(つまり「ええじゃないか」なんだけど)
 
 
全体を通して言えることは、高畑さんの映画はとにかく絵が脳裏に焼きつく。「火垂るの墓」でサクマドロップスが私のトラウマになったように、満開の桜や草っ原から飛び出てきたカマキリ、小川に回る水車、冬にじっと耐えて蕾を膨らませた桜の木を見る度に、きっと私はこの映画のことを思い出さずにはいられないんだろうな。
 
 

とあるロンドンの一日

今日もロンドンです。19時のフライトでスペインに移動するのですが、朝起きて困りました。することがないのです。

実はロンドンはこれまで何度も訪れており、大英博物館もビッグベンも行っています。
舞台の本場ということでミュージカルを見に行ければ良いのですが、あいにく平日はどのステージも夜しかやっていません。
仕方がないので1日、街をぶらぶらすることにしました。

イギリスといえば、ということでハロッズ百貨店に行ったのです。1Fには高級ブランドのカバンやアクセサリーが並んでいて、伊勢丹に来たような気分です。ただ1つ違うのは、ヒジャブをまとったイスラム系の女性がとても多いこと。街を歩いていても、電車に乗っていても、同じような女性をたくさん見か けました。オイルマネーの台頭なのか、アラブの春の影響なのか、いずれにしても時代の変化を感じます。

洋服も靴もカバンもかわいくて、しかもセールシーズン。心浮き立つはずなのに、重要なことに気がついてしまいました。今買うと、重い。これからバックパックを背負って2週間旅をするのに、今荷物を増やすわけにはいきません。


しかたなく、公園でのんびりすることにしました。
サラダとスープと、なぜか日本で買ったパンを片手に芝生でゴロゴロ。イギリスじゃなくてもいいような気もしますが、こんなのんびりした一日も良いものです。

帰ってきた「もののけ姫」

6月26日から7月10日まで、お休みをいただいて海外旅行に出かけました。
上司が新婚旅行でお休みなので、今しかない!と2週間の長期休暇をいただくことにしたのです。

最初の滞在地はイギリス・ロンドン。
目的は、日本でもゴールデンウィークに上演していた舞台「Princess MONONOKE」の公演を見ることです。

「Princess MONONOKE」は、宮崎駿監督の名作アニメ「もののけ姫」の初の舞台化作品。演じるのは大学を卒業したばかりの若い劇団、Whole Hog Theatreです。
ロンドンでは4月に一度公演があったのですが、あっという間にチケットが売り切れてしまったため、6月に再上演となりました。この追加公演のチケットもわずか4時間半で売り切れてしまい、劇場の記録を更新したそうです。

日本での公演はとても素晴らしく、大盛況のうちに幕を閉じたのですが、ロンドン公演では1つだけ不安がありました。それは、日本とロンドンでは劇場の大きさがまったく違うこと。

日本では渋谷にあるアイア シアタートーキョーという800人が入る大きな劇場だったのですが、ロンドンの劇場はわずか100人しか入りません。当然、役者の動きも変わってきます。 舞台の見どころの1つは、3人がかりで動かす大きなパペットなのですが、小さな劇場では正直、出捌けも大変です。大きな舞台に慣れてしまった劇団のメン バーが、果たして小さな劇場に戻れるものなのでしょうか。

 

舞台を見て驚きました。4月にロンドンで見た公演とも、5月に日本で見た内容とも違うのです。

いや、ストーリーは忠実に「もののけ姫」なのですが、細かい演出が加えられ、いままでなかった表情や動きが入っています。それはただの映画のコピーではなく、再現でもなく、新しい「もののけ姫」なのです。

演出家のAlexに訊いたら、日本公演が終わってから少し時間があったので、さらに改良してみたとのこと。毎日、毎回、変わっていく。舞台は生き物だと言いますが、その面白さというものをあらためて教えてもらったような気がしました。

役者のみんなも、日本公演での成功を受けて自信を深めたのか、これまで以上に堂々と、そしてのびのびと「もののけ姫」の世界を生きていました。パペットの動きもより洗練されています。

彼らの夢は、世界中で活躍すること。実際に、今回の成功を受けて海外から招聘のオファーも来ているそうです。「いまはゆっくり検討しているとこ ろ」とAlexは笑いましたが、彼女たちならきっと、どこに行ってもさらに素晴らしい作品を見せてくれるに違いないと期待しているのです。

負の再生産は、自分の世代で終わりにしよう

本日は、ただ心の赴くままに。

 

東京では視界一面が真っ白になるほど、初雪の降り積もった成人の日。
遠くに外出するのもおっくうで、近所の図書館をぷらぷらしてた。

 

ふと「新刊図書」のコーナーを見ると、子ども向けの絵本が目に入った。
内容はずばり「Google」。
なんでも海外の子ども向けの本を翻訳したものらしいのだけれど、
それを見た瞬間、くらっとした。

 

 

日本の子どもに向けて伝えることは、もっとちゃんと、日本の中にあるだろう、と。

 

 

たとえば楽天でもiモードでも任天堂でも、日本で生まれて、
日本人の生活を変えたものはたくさんある。
日本の子どもたちに遺す物語なら、そういったところに、もっと目を向けて欲しい。

 

「アメリカがすごい、日本はそれに比べてダメだ」
そんな言葉は、もう聞き飽きた。
自分たちで築き上げた歴史を肯定して次世代に伝えることに、
何をてらうことがあるだろう。

 

 

未来に必要なのは、自分たちを信じて、これからの困難を切り開いていく力。
そこに自分たちの歴史の肯定は欠かせないものだと思うから。

 

 

負の感情の再生産は、自分たちの世代で終わりにしよう。
そのために、できることをしよう。

 

 

そんなことを思った、13回目の「成人の日」。