「かぐや姫の物語」感想

年が明ける前に、「かぐや姫の物語」2回目に見た感想を。
 
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1回目に見たときは完全にノックアウトされたこの映画。
2回目もやっぱり、見終わった後にずっとほわほわしてました。
 
平安時代の装束とか暮らし方とか本当にこうだったんだろうなぁと思うし、画面の隅々まで人物や動植物が生きていて、ちゃんとそこに意図をもって存在してる。
 
何より石作皇子の言葉が私にはストライクすぎた。
鳥たちが歌い、花が咲き乱れ、自然が自然のままで存在する「ここではないどこか」へ行きましょう、と、都会暮らしに疲れた姫に彼は言う。
 
「ここではないどこか」
ずっと、私が探してたもの。
大学時代はバックパック片手に世界を旅して、どこでも生きていけるという自信と引き換えに、「でも自分が責任を背負って生きていける場所はここしかない」と思って、日本で生きていくことを決めた。後悔も迷いも一度だってないけど、ガーナの山奥で自然と共に暮らした幸せな時間は、時々恋しくなる。
 
土に根をおろし、風とともに生きよう。
種とともに冬を越え、鳥とともに春を歌おう。
 
ゴンドアの谷の歌よ。
 
どんなに恐ろしい武器を持ってても、
土からはなれては、人は生きられないのよ。
 
天空の城ラピュタ」のシータの言葉がフラッシュバックする。
 
 
姫は言う。
「生きている実感さえあれば」、と。
 
生きている実感なんて、どれだけの人が感じられているんだろうか。
多分それは独りではダメで、誰かと話したり笑ったり交流したり。それが「人間らしさ」というものの本質の1つで、高畑さんがいまの世の中に訴えたいものなのかなぁと思った。
 
 
あと、最後の音楽が最高。
映画で見るのもいいけど、テレビから流れてくるとすごくドキドキする。いまの時代にちゃんと合ってて、みんなが求めてるのはこれなんじゃないかと思った。
(つまり「ええじゃないか」なんだけど)
 
 
全体を通して言えることは、高畑さんの映画はとにかく絵が脳裏に焼きつく。「火垂るの墓」でサクマドロップスが私のトラウマになったように、満開の桜や草っ原から飛び出てきたカマキリ、小川に回る水車、冬にじっと耐えて蕾を膨らませた桜の木を見る度に、きっと私はこの映画のことを思い出さずにはいられないんだろうな。